さて~今日は、前回紹介したジョストボの本を参考にして、
簡単に、ロシアでのジョストボトレーの歴史をまとめてみますね。
ジョストボ村で最初にトレーが作られたのは、1800年の始めと記録されていますが、
ハンドペイントのトレーの生産が盛んになったのは1870年代です。
最初は、ヨーロッパの影響を強く受けていた‘サンクトペテルブルグのトレー’(当時のメタルトレーの産地の一つ)をまねて、エレガントなロココやゴシックスタイルを取り入れていましたが、次第に、他のロシアンペイントはちょっと違った、独自のフラワーデザインへと変化していきました。
多様なトレーの型に合わせた、繊細なオーナメントワーク(縁飾り)も、ジョストボのスタイルの一つとして確立されたのもこの頃です。
また、この頃には、ジョストボのペイント技法もシステム化されて、現在まで続いています。
1900年代には、トレーの需要が減って、ジョストボも危機を迎えますが、そんな中にあってもクラフトマンの家では、親から子へと細々と継承されていました。
その経験が、その後の若い世代の育成の為のスクールの開校へと続いています。
1980年ごろになると、ジョストボのトレーは、その芸術性が広く認められて、一般の絵画と同じようにみなされるようになりました。
単なる工芸品にとどまることなく、インテリアとして飾られるようになり、美術館などでも展示されるようになります。そして、海外でも広く認識されるようになります。
たぶん、この辺りがジョストボトレーの最盛期だったのではないでしょうかね?
その後は、ソ連の崩壊という、運命のいたずらに翻弄されていく訳ですが、、、。
まぁ~そのお話は、またあとで、、、。
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