2011/10/14

ジョストボ・ブーケより~ レッスン2

(前回からの続きです。)

ところで、いつ頃どのように、ジョストボのペイントスタイルが生まれたのでしょうか?
ジョストボのルーツを辿っていくと、19世紀初めに遡ります。

19世紀初めのこの時代、ヨーロッパ諸国で飲まれていた‘紅茶’が、
ロシアでもポピュラーな飲み物となり、瞬く間に市民の間にも‘喫茶’の習慣が広がります。

すると、お茶を入れる時に不可欠な、サモワール(ロシア式の湯沸かし器)と
トレーの需要が増していきました。


それまでは、金属製のメタルのトレーは高価なため一部の裕福な人々だけのもので、
一般の市民は、ペーパーマッシェで作られた簡素なトレーを使っていました。
そして、それらペーパーマッシェのトレーは、ラッカーボックスなどの雑貨と一緒に作られていました。

‘喫茶’の習慣が広がると共に、それまではウラル地方やサンクストペテルブルグなどで作られていたメタルトレーも、消費地であるモスクワの近郊でも作られるようになり、ジョストボ村やその周辺の村でも‘鍛冶屋’が登場します。

そして、出来あがったメタルのトレーには、すでに確立されていたペーパーマッシェのトレーやラッカーボックスへの絵付けのテクニックがそのまま応用されます。
トレーの素材がペーパーマッシェから金属のメタルに変わってだけで、絵付けは同じ職人が請け負います。

この地でメタルトレーが製造された事を示す、1825年フィリップ・ヴァイシンヤコブ ~人名なので読み方がよくわからない( 一一)~ とその息子がトレー工場を始めたという記録が残っています。

(はい、今日は、ここまで、、、)

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